1853年オハイオ州デイトンで生まれたチャールズは貧しいながらも愛にあふれる家族に囲まれ、幼いころから教会へ通いました。医師であった父は厳しかったようですが、信仰をもって清く正しく生きることを教え、優しい母はチャールズが牧師になるよう祈りつつ大切に育てました。
この時代にはまだ車などなく、遠くへ行くには鉄道で、そうでなければ馬に乗るか徒歩で移動するのが常でした。インディアンとの間にはまだ戦いがありましたし、1860年にはアブラハム・リンカーンが大統領に、1861年には南北戦争が起こりました。ガルストが育った時代は、私たちが現在思い浮かべるアメリカとは様子が違います。一定の年齢の人にしか分からないかもしれませんが、テレビシリーズの「大草原の小さな家」や小説「若草物語」で描かれているような世界にいたのです。
ガルストはまず農業を学びに大学へ二年通いました。八人兄弟で苦しい生活の中、農業で身を立てようと考えたようです。しかし、忍耐強さが評価されていたガルストは、学長に陸軍士官学校に推薦されます。ウェストポイントと呼ばれるこの学校は、陸軍のエリートを養成する厳しい学校でした。訓練についてこられるだけの根性があると見込まれたガルストは、四年間をここで過ごします。
わたしたちにとって大切な出来事が少し前にアメリカで起きていました。復帰運動と呼ばれるプロテスタントの牧師や信徒の間で広まった「聖書に立ち返ろう、キリスト者として一致を目指そう」という活動です。教団教派の違いを作り上げている信条や人間の作り上げたルールに縛られるのではなく、聖書に書いてあることに従おう、そうすればキリストの弟子として、多くの人とともに神様を礼拝できるのではないかと考えたのです。この運動の中心になったのはバートン・ストーン、トマス・キャンベル、アレキサンダー・キャンベルですが、ガルストがもっとも影響を受けたのは、アイザック・エレットでした。エレットはアレキサンダー・キャンベルを長年にわたって手伝い、その後オハイオ州シンシナティでクリスチャン・スタンダードという雑誌を発行していました。(クリスチャン・スタンダードは現在も発行を続けています)
陸軍士官学校で寄宿舎生活を送っていたガルストは、同室の友人からクリスチャン・スタンダード誌をもらいます。書かれている内容に感動し、熱心に聖書研究に励むようになりました。